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ダイズ
大豆の原種は、中国西部、シベリアから日本にも野生するツルマメ(ノマメ)と呼ばれるも ので、古代から食料にされてきました。ダイズとして作物化されたのは旧満州、シベリア、ア ムール川流域ではないかといわれています。中国では五穀の1つとされ、その栽培は5000 年以上前から始まったとされています。
日本に渡来したのは縄文時代、あるいは弥生時代初期とみられ、日本書紀の中では「麻まめ豆」 と表記され、大豆が五穀の一つとうたわれていた記載があり、また他の書物では、関西に産地 があるという記述があります。
日本で本格的に栽培が始まったのは、鎌倉時代以降のことです。武士の栄養源とされたり、 当時伝えられた禅宗の精進料理に用いられたことが背景にあります。江戸時代の農書「農業全 書」では、「大豆として黄、白、黒、青の4色あり、大小あり、形では丸きと平」など、当時 から多品種存在していたことや、詳しい栽培方法を紹介しています。
現在、大豆は全国的に栽培されている作物ですが、国内自給率は 3 ~ 4%と意外に低く、大 半を輸入に頼っているのが現状です。このうち約 8 割が製油用で、食品用が 2 割といわれて いますが、ほぼ全量が食用にむけられていることは、日本人の食生活に欠かせない作物である ことは明らかです。
「福島県農業史」によると、いわき市では、昭和20年代に大豆の栽培が盛んであったこと がうかがい知れます。これは、各家庭において味噌が手造りされていたことが起因していると 思われます。かつては、多くの畑に、黄大豆、あおばた、黒豆の姿がありました。黄大豆、あ おばたは食用のほか、味噌豆に用いられ、黒豆はその色から、魔除けの力があるとされ、お節 料理や慶事に登場してきました。
いわき市内の在来の黒豆は、ふっくらと丸く、種皮には「ろう粉」とよばれる白い粉をほん のりと帯びています。これは黒豆有数の産地・丹波では良質の証とされています。
生産の歴史的由来
ダ イ ズ
平下神谷産の黒豆
黒豆
<マメ科ダイズ属>
●主な栽培地 平下神谷
59 調査に入った2012年は不作の年とな りました。莢をつけたものの、子実をつけ ないまま枯れてしまったのです。夏の暑さ が長引き、12月に入っても葉や茎がなか なか枯れず、青々としたまま寒さを迎えて しまったせいではないかと栽培者は推測し ています。「これほど不作は初めてだ。た まげたね。」と大きくならずに枯れた莢を 見て戸惑いを隠せないご様子でした。
不作の年は、食べる分を控え、種として 残すことを優先します。「農業というのは 難しいし、面白いこともあっけども。いつ になっても覚えらんね。これで大丈夫だと いう技術はねぇもんね。その年その年に よってある程度てかげんしねぇと。」と、 半世紀以上のご経験をもっても、代々継承 してきた種を切らさず次の年へとまた繋ぐ 難しさを、垣間見ることとなりました。
播種前の畑の準備として、5月になると 畑に石灰を散布し耕起します。畝幅は75 cm、畝高は10cm、畝間は40cm 程に します。5月中旬に、畝中央に20cm 間 隔で、2粒ずつ植えていきます。6月上旬 に、除草を兼ねて中耕・土寄せをし、7月 下旬までにもう1度土寄せをします。9月 下旬~10月上旬になると枝豆として収穫 することができます。
11月下旬に、莢が褐色になったら、根 ごと引き抜いて収穫し、ハウス内で自然乾 燥をし、12月中旬に脱粒します。
マメ科植物の根には、根粒という小さな こぶができ、この中に宿る根粒菌という細 菌が、植物が自らつくれない物質をつくり、 マメ科植物に与えています。このことから マメ科植物には基本的に元肥や追肥は不要 とされますが、近年の気候条件の変化によ り、様子を見て追肥する傾向にあるようで す。
平
平下神谷
いくつになっても勉強…不作に学ぶ農業
栽培方法